『地元・萩の米、水、人、時間がシンフォニーを奏でる、
稲をくぐり抜けた水』
を意識した日本酒造りに挑む。
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2021年で創業100年を迎えた澄川酒造場。
澄川宜史が4代目蔵元杜氏になってからの日本酒造りのこだわりは他の追随を許さない。
廃業の危機を考えた大災害に見舞われても、仲間と一緒に新たな一歩を踏み出した。
継承と革新を掛け合わせながら、これからも進化し続ける。

『王道の日本酒造り』 奇をてらわず、美味しさと品質両面で100%の酒を造ることを強く意識している。
お米の丸み、甘み、旨みを持った日本人のDNAに響く日本酒造りにこだわっている。
また『0杯から1杯へ』を目標に、日本酒を飲んだことのない人にも親しんでもらえるような華やかでフルーティーな香味も意識している。

1921年(大正10年)、米問屋だった澄川家が親戚筋の酒蔵を引き受けて創業。
銘柄は、初代当主が亡き妻を思って名付けた「東洋美人」のみで日本酒造りに挑んでいる。

4代目蔵元杜氏澄川宜史は、東京農業大学在学中の学外実習で出会った高木酒造の当主、
高木顕統氏の影響を多分に受ける。高木氏の下で学んだのは、技術面だけではなく、
酒造り挑む姿勢だ。厳しい経営を立て直そうと身体を張りながら「命を削る酒造り」に
奮闘する姿に感銘を受け、今でもその頃の気持ちとを同じくスタッフと一緒に酒造りに邁進している。

2013年7月末、荻市を襲った集中豪雨によって、酒蔵は床上浸水、蒸し器などの機械は
使用不可、冷蔵庫に瓶貯蔵していた1万本以上の日本酒がながされるなど壊滅的な被害を被った。
しかし、被災を知った1500人以上の仲間が復旧作業に加わり、もう製造は出来ないと
言われた酒蔵が奇跡の復活を果たした。

2014年に地上3階建ての新酒蔵を建設。最新の機械や技術を搭載しつつ、
宜史が無数の経験で積み重ねて発揮される「感性」を掛け合わせることで、
酒質を新たな領域へと引き上げるとともに、酒造りの文化を継承している。

歴史 東洋美人の歴史

  • 1921
    山口県萩市で創業
  • 2004
    澄川宜史が第4代目蔵元杜氏に就任。
    澄川宜史が第4代目蔵元杜氏に就任。
    東京での販路を拡大するため、夜行バスを貸し切って日本酒を運び、
    試飲をしてもらうために各飲食店を回り始めた。
  • 2013
    大水害で、蔵の1階部分が流され、廃業の危機に立つ。
    大水害で、蔵の1階部分が流され、廃業の危機に立つ。
    しかし1500人以上の仲間の助けのおかげで立てなおす。
  • 2014
    覚悟を持って新酒蔵を建設。伝統製法と最新設備を融合させた酒造りに挑む。
    覚悟を持って新酒蔵を建設。伝統製法と最新設備を融合させた酒造りに挑む。
    また同年10月に開催された世界最大級の日本酒コンペ「SAKE COMPETITION」の「Free Style under 5000」でグランプリを獲得。
    各種コンペティションで結果を出し始める。
  • 2016
    「東洋美人 純米大吟醸 壱番纏 」が日露首脳会談の夕食酒に選ばれる。
    「東洋美人 純米大吟醸 壱番纏 」が日露首脳会談の夕食酒に選ばれる。
  • 2019
    JALのファーストクラスの提供酒として、「東洋美人 純米大吟醸 一天」がラインナップ。
    白桃を思わせる上品な香りが、高く評価される。
  • 2021
    創業100周年、さらなる進化を求め成長を続ける。
    創業100周年、さらなる進化を求め成長を続ける。

澄川 宜史

1973年、山口県萩市(旧田万川町)生まれ。
東京農業大学醸造学科を卒業し、家業の澄川酒造場に入り、「東洋美人」を人気銘柄に育て上げる。
学生時代に、山形県の高木酒造で実習。
「十四代」を育てた高木顕統専務・杜氏の薫陶を受けた。
「酒造りでは誰にも負けないつもり」という情熱を持って取り組む姿勢は業界内でも一目置かれている。
その情熱から生まれてくる日本酒の味と品質への評価は
国内外問わず高い。

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ニュース

  • 2021.01.29
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会社情報

社名
株式会社澄川酒造場
創業
1921年
代表者
澄川 宜史
所在地
〒759-3203 山口県萩市大字中小川611番地
電話番号
0838-74-0001
FAX番号
0838-74-0003